31歳自営業妻の東京からドイツ駐在までの道

東京在住・自営業・31歳です。3月に第一子 (男)出産しました!

祖母が天国へ…

わたしが高2の時、祖父が亡くなりました。

70歳過ぎて、肺癌を患い2年ほど闘病の末でした。

 

病気のことは知らされずに末期の頃には

全然会えなくて…

 

そろそろ学校に行こうかなというとき

いとこの姉からかかってきた電話は

祖父の危篤の知らせでした。

 

それから3日ほど生きた祖父。しばらくして亡くなりました。

 

「最後だし、会いに行こう」

と母は言うのですが、突然祖父が病気で

実は癌で入院してて、危篤で…といっぺんに

いろんなことが知らされて…

 

テストがあるから…と会いに行くのを避けたわたし

次に祖父と会ったのは、今に横たわる姿でした

 

祖父は危篤から目を覚ましたりしたようで

母や叔母、祖母たちは病室で家族揃えたようです。

 

あれからもう10年以上がたちます。

祖母に会いに行くときは必ず祖父の仏壇に

手を合わせてきました。

 

祖母は10年ほど前から、筋無力症という

難治性の病気にかかり、いずれは寝たきり

になってしまう…という宣告を受けてました。

 

母は週1ペースで病院に付き添いその都度

どこかでランチをして、そのことをよく

メールで知らせてくれました。

 

もともと明るい性格の祖母はいつもニコニコ

笑っていた気がします。

歌うことが大好きで、カラオケによく出かけてました。

 

同居の叔父叔母家族とは仲が悪いこともあり

祖父も祖母も肩身の狭い

思いをしていたのかな、と詳細は知らされ

なかったですが察してました。

 

母はひたすら、ひたむきに祖母の世話や

病院の付き添い、外に連れ出したりして

自分なりの親孝行をしてました。

 

そして、先日祖母が脳内出血で倒れたとのこと。

延命治療は行わない、とのことでした。

 

その前に、もう目を覚ますことはないと医師からも告げられたようです。

酸素ボンベがないと、息はできない状態。
次の日に、みんなが見守る中、酸素ボンベを外してもらい、静かに息を引き取ったようです。

 

怪我もなく、姿はただただスヤスヤ寝ているだけで…。でももう目を覚ますことはないって。

「寿命なのかもしれない」と、母は電話越しで

言いました。

 

泣きそうになると、お腹の子がビックリするでしょうと、言われ。1番悲しいのは母なのだから、、と我に帰りました。

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いろいろあったけれど…

祖母は幸せだったんじゃないかな、と母とわたしで話しました。

 

わたしと兄が小さい時は、本当にお世話になったそうです。たくさんの孫に囲まれて、祖母はわたしたちからもとても好かれてました。

 

今日のお昼から告別式です。

祖母の最後の姿に会えない。

 

本当なら帰省するところですが、お腹の子もいて体力的にも難しく。。

東京から祖母を見送ります。

 

ほんとはお腹の子を抱いて欲しかった。

ひ孫として、祖母に会わせたかった。

 

また次も会えると思ってた。

分からないものです。人の命は。。

 

でも最後に会ったのはお盆休み。出産間近のいとこに会いに行ったことで、祖母にも会えたのです。

 

叔父や叔母、いとことも久しぶりに会ったので祖母とはゆっくりとは話せなかったのですが、あの時行ってなかったら…と思うと。。

神様のご配慮だったのかなと、思います。

 

あの時の祖母も笑っていた。

 

 

おばあちゃん、天国でゆっくりしてね。

見守っていてね。

今まで本当にありがとう。

さようなら。大好きでした。